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三国志最強の裏切り者、呂布奉先

史実での呂布奉先

勇猛果敢、並ぶものなき武をほこり、しかし裏切りの将として名高い呂布奉先。

現代において漫画などにも取りあげられる彼の物語は、かの有名な「三国志演義」がモデルとなっています。

呂布奉先:三国志版

有名な赤兎馬に乗って、愛用の武器“方天画戟(ほうてんがげき)”を振り舞わし、数多の兵を屠る身の丈一丈の大男。

一丈は現代における3メートルなので、そうとうなものです。

始めは「丁原(ていげん)」、次は「董卓(とうたく)」と、恩人たる養父らを2度も裏切る恩知らず。

虎牢関の戦い

呂布の強さが最も描写されたのが「虎牢関の戦い」

呂布がまだ董卓のもとにいたころ、各地の将が結託した連合軍が董卓を討たんと攻め入ります。

そこで董卓は呂布を虎牢関の守備へとまわしたところ、連合軍の将らへと一騎討ちを仕掛け、次々と討ち取っていくではありませんか。

呂布のあまりの強さに恐れおののく連合軍の兵たち。

そんな中、三国志の主人公のひとり「張飛益徳」が呂布へと一騎討ちを申し込むも、やはり呂布には到底かないません。

呂布に軽くあしらわれる張飛でしたが、そこに義兄弟である「劉備玄徳」「関羽雲長」が助太刀し、呂布は一対三の状況を強いられます。 一騎討ちとはなんだったのか。

本来であればどうしようもない状況であるにもかかわらず、それでも同等の戦いを繰り広げる呂布。

ついに決着はつかず、退却の鐘によって戦いは中断されてしまうのでした。

呂布奉先:史実版

腕っぷしが強い、というのは三国志演義と同じ。 裏切りの将というのも同じ。

しかし三国志演義とちがうのは、身の丈は一丈もなかったであろうことと、そんなにどでかい活躍もしていないということです。

丁原を裏切り董卓につくも、三国志演義で虎牢関の戦いと呼ばれた「陽人の戦い」では、共に作戦に参加していた「胡軫(こしん)」を嫌って嘘の情報を流して邪魔をするしまつ。

呂布自身が大活躍したわけでもなく、劉備、張飛、関羽らとの大立ち回りもありませんでした。 むしろ史実ではこの戦いに3兄弟は参加していなかったとか。

その後は董卓をさらに裏切り、紆余曲折をへて「袁紹(えんしょう)」のもとに身を寄せて袁紹の敵を討つなどそこそこの活躍をしました。

袁紹の敵であった黒山賊との戦いの様子から「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」という呂布の武力を表す有名な言葉が生まれたのです。

しかし結局うまくいかないのが呂布。 呂布の将兵らが略奪をおこなったことにより、袁紹と対立。 これに関しては、呂布が悪いというより配下が悪かったので、単に運がなかったといえるでしょう。

袁紹のもとをはなれた呂布は、今度は「張邈(ちょうばく)」のもとへ。

張邈らとともに「曹操」を攻めるも、これに失敗。 今度は劉備のもとへ。

劉備のもとを訪れると、なんといきなり劉備と杯をかわし、彼を義弟認定しはじめます。 当然、劉備はこれに反発。

しかし劉備もそれを顔にだすことはなく、とりあえずその場は取りつくろったのでした。

少しして劉備と、袁紹の従兄弟である「袁術(えんじゅつ)」が争い始めると、そのすきに劉備の本拠地を奪ってしまいます。 なんだこいつ。

劉備は降伏し、立場が逆転してしまいます。 紆余曲折ののち、呂布に攻め込まれた劉備はついに曹操を頼って逃亡しました。

その後の呂布は、袁術と喧嘩したり協力したり、調子に乗っていろいろしたのちに失敗したりとあまり派手な活躍はしませんでした。

そうして来る建安3年。 味方の裏切りにより曹操に敗れて投降。

曹操に媚を売ってみるものの、劉備が「コイツは信用できない」と曹操に進言し、大失敗します。 呂布は「劉備こそ一番信用できない」と主張するも、聞き入れられませんでした。 当たり前だ。

結局呂布の命乞いはうまくいかず、縛り首にされて処刑されたのでした。

Fateシリーズでの呂布奉先

初出は「Fate/EXTRA」「ラニ=Ⅷ」のサーヴァントとして登場しました。 「Fate/GrandOrder」では☆3のバーサーカーとして登場しています。

なぜか半人半機のサイボーグ人間として描かれており、それが生前からのものなのか、それとも英霊と化すにあたっての変化なのかは不明。

アサシン、ランサー、ライダー、アーチャーなどのクラスにも適正があるようで、特にランサーやライダーとしての召喚が向いている様子です。

史実においては全くといっていいほどかみ合わなかった呂布と彼の軍師「陳宮」ですが、Fate時空では非常に仲がよかったとか。

FGOでのマスターである主人公らを陳宮に例えることからも、彼を非常に信頼していたことがわかります。